美味しいマイナー魚図鑑

ぼうずコンニャクこと藤原昌高さん。

最近、弊社から小田原の地魚を買って頂く機会も増え、色々お世話になっています。

魚好きの間では知らない人はいないと思いますが、数多くの著書や活動を通じて、魚の魅力を発信されています。

魚屋である僕からしても凄いなぁと思うのが、徹底して「食べる」行為を通じて魚と向き合っておられること。

国内最大級の資料をおひとりで集められ、ネット上で検索しやすい仕様の図鑑にし無料公開されている。

ただ魚の知識を網羅するだけでなく、藤原さんが実際に料理して口に入れたという膨大で途方もない体験の厚みが、唯一無二の資料価値になっている。

グソクムシやメンダコ、はてはリュウグウノツカイにいたる「食べた記録」にはぶったまげたものです。

 

魚料理を専門にする料理人や、我々のような魚屋、つまり「魚を食べる」を商売にしている人間からも藤原さんのスタンスはかなり特殊で、市場を一緒に歩いていると、我々の視点がいかに偏っているかがわかる。偏差値の高い料理人や魚屋ほど極右のような保守的な見方(目利き)になりがちです。それはある意味での偏見であり、地魚の豊かさと逆行する。一方、藤原さんの視点ははるかに自由で軽やかです。そして若々しく探究的でもあります。

ともするとゴミのように扱われてしまう雑魚の中から、我々には分からない宝を見つけ出し、その価値を喜ばれる。つい、売り上げになるか経済的な視点で見てしまう魚屋や、水産試験場の記録的な視点で計る職員とも全然違う。

 

私自身も、藤原さんの立ち位置を必ずしも正確に理解していたわけではなかったけど、「美味しいマイナー魚図鑑」の前書きで藤原さんのスタンスが明快に主張されていた。

我々日本人は、選択的に魚を食べ過ぎてきた、と言うのがその主張である。

日本近海では1500種以上の食べられる地魚が水揚げされているにもかかわらず、多くの魚が食べられないまま飼料にされたり、廃棄される。食べられない地魚にはそれぞれ何かしらの理由がある。

地域性が高く量が獲れていない、知名度が低い、調理が難しい、歩留まりが極端に悪い、見た目が悪いなど。しかしながら、タイやマグロなど決まりきった魚で平凡な食生活を送る事が、いかに自然破壊(資源減少、養殖の海洋汚染など)につながるか、と警鐘を鳴らされている。

目の前で獲れている多種多様な水産物、これを普段の食生活に活かすことがいかに自然に優しい行為なのか、またそのためには消費者自身にも地魚の知識が必要であると。

確かにその通りであり、我々魚屋としても、ただ売れ筋の定番魚だけを扱っていてはコモディティ化してしまう。

消費者にも責任があるが、その前に、魚屋自身も、日本の海の豊かさを伝える役割を積極的に行うべきなのだと思いました。

 

一席数万円をとる鮨屋や和食店もハレの日はいいですが、それは日本料理の伝統という側面を持ち合わせながらも、商売である限り、高級になるほどフーディーズ達(美食家)や接待客の資本力に見合った料理に偏っていくと思います。3万円以上のコースの価格に納得感を持たせるなら、鮑、伊勢海老、雲丹が必要で、それらはやはり格別に美味しいし、それらを使った料理は高度で真剣なエンタメであり、文化でもあるのですが、それだけではやはり日本の海の豊かさを表現するには片手落ちになります。(もちろん例外的な店はあります)

藤原さんのように日本の海産物を全幅で受け止める度量がある大らかな「食べ手」は稀有で、市場に直接通わない限り難しい。

だからこそ、市場から食卓をつなぐ魚屋に、もっと柔軟な視点と使命感が必要なんじゃないかと思いました。

 

追記:藤原さんは上記の主張と併せて、もう一つ、「日本各地に根付く郷土料理の文化を守るべき」という大事な主張も別なところでなされています。

食材の豊かさと、食べ方の豊かさ、この2点を意識的に大切にしたいというお考えです。

ご自身がその高度な実践者であり、日々、日本各地の地魚と戯れ、漁師、魚屋と濃い時間を過ごされている。その点、日本の水産資源を守るため活動されている水産学者・勝川さんともちょっと違う気がする。
確かに、、勝川さんが提唱されるように、漁獲枠を制限して特定の魚種を守ることも必要だけど、制限枠を作るとどうしても廃業する漁師が出てくるのでは? これは他国でも同じ問題が起こってきた。まして漁業大国の日本では、高齢化しているとはいえ、漁師の数が多い。漁獲枠の制限=漁師の制限につながるのでは?

だけど藤原さんが主張されるように、獲れているのに食べられていない地魚を多くの日本人が食べる方向に持っていったり、郷土料理(食べ方の多様性・地域性)の維持を考える事の方が、漁師さんも含めて、より多くの人が幸せになれる可能性がある、と思います。

 

少し長い記事になってしまいましたm(__)m

ただ今回のテーマは、学術でも美食でもなく、「生活」にかかわる点でよりスケールの大きな問題だと思います。また引き続き掘り下げて考えてみたいです。